10.社会復帰と再入院


帰って来た時は嬉しかったですね〜。
実は退院する前に何度か試しに家に帰らせて貰ってます。
そうして普通の生活に支障がないかチェックするのです。
最初に驚いたのは、体力の低下でした。ずいぶん元気になっているのではないかと思っていたのですが、まず、駅の階段で足が止まってしまいました。
筋肉がまったく減っていまして、たかだか5段位で降りる事も上がる事も出来なくなってしまったのです。
あと、一気に痩せてしまった為、骨が痛いんです。
座ると尾てい骨が痛いんですね〜。クッションのある椅子なら平気だけど、駅の堅いあの椅子は拷問で、身体が辛いのに座れないという………(涙)


で、退院して最初にした事は、とにかく体力復活でした。
実は真夏だったんですよ。8月の5日ごろだったんじゃないかと思います。
真夏の炎天下に、毎日一駅ぶんぐらい歩いてスーパーに寄って帰ってくる生活でした。
とにかく早く元に戻さないと、イベントに間に合いませんからね。たぶん目標がはっきりしてるんで頑張れたのだと思います。
しかし、一駅先のスーパーに行って帰って来るって事は、毎日無駄な買い物をしてるって事です。ちょっと太りました。あんまりお勧めしません(苦)
どうにかこうにか、イベントはトラブルも無く、楽しく過ごす事が出来ました。
何しろ癌ネタがあるので、皆に話も受けましたしね(>v<)g!


そして再入院の日はすぐさまやって来ました。
ストーマ除去です。けっこう痛いしお金はかかるし、わりと気を使うので、早く取りたかったのですが。
が、せっかく自由を謳歌してたのに、また全身麻酔で手術ですから、そりゃ気分もどんよりです。
医者に「部分麻酔でどうですか」と聞いたら、即効「吐くよ」と返されました。
腸をいじる為には、お腹を開けて胃を横に出して、子宮を避けて………、といじりまくるそうで、戻しちゃうんだそうです。
しょうがないから、また脊髄麻酔を我慢して全身麻酔決定です。
今回は元気でしたので、手術までがばがば飯を喰い、看護士さんにも呆れられる始末。
手術後に地獄の苦しみが来るとは、その時は露程も考えてはいませんでした。

手術は簡単に終りました。3時間ぐらい? これは前後1時間は麻酔を掛けて、ぬけるだけの時間ですから、実質1時間で終っています。
脊髄麻酔は、今度は屈んで背骨を伸ばす事が出来たので、一ヶ月前とは比べ物にならない程あっさりと終り、また「これが最後の情景になるかも知れん」と、覚悟して全身麻酔をしたんです。
でも今度は軽い手術でしたから、ICUにもいかずにもう病室に戻っていました。
が、その時は、死ぬかと思う苦しみで目が目が覚めました。
実は例の、麻酔をかけると出てくる痰。あれが絡んでいたんです〜(涙)
が、顔に付けられた酸素吸入器がじゃまで喋れません。どうにか手話で喉を指差すと、看護士さんが「ああ、吸引?」と管でガボガボと吸い取ってくれまして、どうにか生還する事ができました次第です。ちょっと情けない。
ちなみにそれ以来、すっかり痰はきが上手くなりまして、いまでも免疫細胞や白血球やリンパが死んで喉に絡んで来るとか〜か〜吐いて捨てています。あれは死んだ細胞なんですから、皆さんも飲み込んだりしない方がいいですよ。


しかし、大変なのはその後です。
腸の手術でしたから、また絶食絶飲になってしまいました。
悲しかったけどしょうが在りません。
が、何も食べていないのに、毎日ひどい下痢状態でした。
何で何も食べて無いのに。何が出るんだと思ったら、腸液とか老廃物が出てくるそうなんです。
いやでも、これはちゃんと腸が繋がった証拠なのですから、本当に嬉しかったのです。
なんせトイレ使うの3ヶ月ぶりぐらいでしたからね。
でもこれが毎日数十分置きに来るんですからやっぱ辛い。
大変でした。いきなり切れ痔です。とほほ。
医者に泣きついて、ゆる〜い下痢止めとか痔の薬とか出してもらいました。
でも食事が始まり固形物を食べるようになると、段々固まって来ますので、どうにか危機を脱する事が出来まして、無事に無罪放免となったのでございます。


しかし私はその後大失敗をしてしまいます。
一年も経たない内に、再入院再手術となってしまったのでした。


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